広島大学 大学院生物圏科学研究科 助教 星野 由美 先生

No.9 「卵子を知り,卵子を活かす」

今回は,生命現象のスタートである卵子の神秘に魅了され,精力的に研究をされている星野由美先生にお話を伺いました。
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広島大学 大学院生物圏科学研究科 助教
星野 由美 先生




 
専門分野:生殖生物学,家畜繁殖学
経歴:
2006年   3月 東北大学大学院博士後期課程修了 農学博士
2006年   4月 日本学術振興会特別研究員(PD)
2007年 12月 東北大学大学院農学研究科 助教
2011年 10月 スタンフォード大学医学部 客員助教(兼任)
2015年 11月 広島大学大学院生物圏科学研究科 助教

◯ 研究内容について

  学生時代から卵子に関する研究を行っています。卵子は精子とともに生命現象が始まる源であり,親から子へと遺伝情報を伝達するための特別な細胞です。体細胞とは異なり,減数分裂という未知のメカニズムを経て受精し,hoshino_2次世代の個体を形成するチャンスを獲得します。卵子ではこの減数分裂が正しく行われて初めて受精ができるようになるのですが,複雑なメカニズムで制御されていますので,未だに分かっていないことも数多くあります。このメカニズムを解明し,その知見を体外操作技術の改良や新しい技術の開発に繋げていきたいと考えています。現在は,「卵子を知り,卵子を活かす」のキャッチフレーズで,①受精・発生能力の高い(いわゆる「質の高い」)卵子の生物学的特徴を明らかにすること,②質の高い卵子や受精胚を体外で生産・選別・活用するための技術を開発すること,③卵巣の未凍結保存法を確立すること,の3課題に取り組んでいます。
 
  卵子のもとになる細胞は生まれた時から卵巣内に存在しています。ヒトの場合,出生直後の卵巣には,約200万個の卵子のもとになる細胞(原始卵胞)があるのですが,年齢を重ねるごとに急速に減少し,閉経期にはほとんど残っていないと言われています。卵子の状態は加齢に伴って変化し,歳をとった卵子は受精やその後の発生を難しくしています。有限である卵子を効率的に活用するために,発生する能力のある,いわゆる「質の高い卵子」の特徴を分子レベルで明らかにして,それを効率的に選別する技術を確立しようとしています。
 
  研究で得られた知見は,具体的な技術として社会に還元していくことが求められます。卵子の研究は,家畜の増産や希少動物種の繁殖,ヒトの生殖補助医療などを視野に取り組んでいます。例えば,ウシやブタなどの家畜は私たちの食生活に欠かせない存在です。良質な畜産物(肉・乳)を安定的に生産し,家畜としての経済的価値を高めていくためには,さまざまな工夫が必要になっています。家畜を効率的に生産するためには,理論上は,良質の肉質を持つ親同士を掛け合わせれば,その能力を受継いだ子どもが生まれてきますが,そうするとどうしても生産コストがかかってしまい,畜産物の値段にも響いてしまいます。そのため,高品質な畜産物をより安価で安定的に提供するための対応が求められています。この課題に対して,さまざまな取り組みがなされています。繁殖技術の観点からは,受精卵(胚)移植による産子の獲得がそのひとつに挙げられます。この方法を使うと,卵巣内にある卵子を利用して受精卵を効率的に作製でき,移植する動物にとってベストなタイミングで移植できるメリットがあるのですが,作製した受精卵の中から発生できそうな良質な受精卵を選別して移植しなければ,受胎は期待できません。通常は,顕微鏡下で受精卵の形や大きさ,細胞質の色などを観察して,基準を満たしているものは移植に供試されています。しかし,移植しても発生しないものも一定の割合で存在していますので,効率的な生産を目指す場合には,確実に発生するものを選別することが不可欠です。そこで私は,発生可能な受精卵の特徴を分子レベルで明らかにして,選別に有効な評価基準を確立しようとしています。これが実現できれば,移植による受胎率を高めることができますので,家畜の効率的増産に貢献できると確信しています。
 
  また,hoshino_3.jpg卵子や卵巣の保存にも取り組んでいます。動物の遺伝資源の保存やヒトの生殖補助医療(不妊治療)に適用されている技術のひとつに,卵子の凍結保存があります。これは,文字通り卵子を凍結させて保存する技術です。一般的な方法として多用されていますが,卵子1個ずつでしか保存ができない上,凍結により卵子がダメージを受けるなどリスクも指摘されています。それらを解決(回避)するために,個々の卵子ではなく,卵巣(卵子を作り貯蔵している臓器)で保存することを考えています。卵巣はサイズの異なる細胞で構成され,水分を含んでいますので,卵巣を凍結させようとすると,表層と中心部分で凍結速度にばらつきが出てしまい,卵子や卵巣内の細胞がダメージを受け死滅しやすくなります。そのため,卵巣丸ごとの凍結保存は難しいと考えられています。そこで,これを避けるために,凍らせない新しい保存法の開発に挑戦しています。これまでの研究で,植物由来の抽出物を利用して,卵巣を凍らせずに一定期間保存させることに成功しています。卵巣を安全に保存できれば,より多くの卵子や卵子のもとになる細胞の保存も可能になりますので,卵子にとっても安全な状態での保存が実現します。また,卵巣の機能も温存させることができますので,将来的には卵巣を体内に戻すことで,体の中で排卵させ,妊娠・出産させることも可能になります。

◯ 研究の方法

  哺乳動物の卵子1個のサイズは0.1mm程度で,hoshino_4.jpgとても小さいです。一つ一つを丁寧に扱う必要がありますので,マウスピースを使って操作しています。マウスピースには,ガラス管を装着して使用しているのですが,このガラス管は卵子1個が通過できる程度の内径になるように,先端を火であぶりながらサイズを調整しています。卵子を培養する時には,このガラス管に卵子を培養液と一緒に吸い上げて移動させています。できるだけ卵子にダメージを与えないように,体温に近い温度(37℃)に加温して操作するなど,細心の注意を払いながら実験を進めています。

◯ 海外での研究について

  海外での研究は私の視野を大きく広げさせてくれました。これまでにスウェーデン,イタリア,アメリカの3か国の大学で研究を行う機会があったのですが,国や組織によって研究の進め方は多様で,学ぶことがたくさんありました。ここでは,ひとつアメリカのスタンフォード大学での学びをお話ししたいと思います。特に印象的だったのは,結果(研究成果)を出すスピードが速かったことです。なぜそれが実現できるかというと,研究に専念できる教職員が多いことと,グループの全員が一つの目標に向かって,本気で取り組んでいるからです。また,研究費も重要な要素です。滞在中,ある日突然研究室が空っぽになっていた,という状況に遭遇したことがありました。後から聞いた話では,研究費がなくなってしまい急遽研究室を閉鎖することになった,とのことでした。研究費がなければ研究を続けることはできませんので,研究室の責任者のプレッシャーは相当大きいものと思います。それだけに,一人一人が一生懸命に研究活動に取り組んでいるのです。だからと言って,日夜を問わず研究をしているわけではなく,多くの人は早く仕事を終わらせて家族との時間やプライベートの時間を充実させたいと思っています。研究もプライベートも両立させてこそ一人前,そこは見習うべき点ですね。

◯ これからの展望

  基礎的な研究を続けながら,hoshino_5.jpg実用化に向けても展開していきたいと思っています。今はマウスの卵子を材料として研究を進めていますが,対象を広げて,家畜や希少動物種の増産にも繋げていきたいです。また,ヒトの生殖補助医療(不妊治療)も視野に研究を進めていますので,そうした領域にも貢献できるように取り組んでいきたいと考えています。
  受精して初めて生命現象が始まる,これほど神秘的なことはないのではないでしょうか。分子レベルで卵子内の現象を解明し,明らかにしたことを活かして,家畜の生産や不妊治療に繋げる。研究成果を社会へ還元することを常に意識しながら,これからも研究を進めていきたいと思います。

取材担当:勝池有紗(広島大学 大学院教育学研究科 生涯活動教育学専攻 博士課程前期1年)