広島大学学術院 助教(大学院総合科学研究科)栗田梨津子 先生

No.21 アボリジニをみつめて
―都市に住む「アボリジニ」のアイデンティティを考える―


広島大学学術院 助教(大学院総合科学研究科)
栗田梨津子 先生




 
専門分野:文化人類学
経歴:
2003年03月 神戸大学大学院, 総合人間科学研究科 修士課程修了
2011年09月 広島大学大学院, 総合科学研究科 博士課程修了
2016年04月01日-2017年02月28日 実践女子大学短期大学部, 英語コミュニケーション学科, 専任講師
2017年03月01日 広島大学大学院, 総合科学研究科, 助教

◯ 多文化主義とアボリジニ

 私はオーストラリアを対象に、多文化社会において特に先住民や難民といったエスニック・マイノリティが直面する様々な問題について文化人類学的観点から研究を行っています。
 オーストラリアにおける多文化主義は、元々は移民を対象に行われていた政策でした。多文化主義というのは、多様な民族の文化やアイデンティティを尊重して、その保護を政府がサポートするというものです。先住民のアボリジニは独自の政策がとられていましたが、1980年代後半頃からこの多文化の中の一つに組み込まれていきました。この時代、オーストラリアはナショナル・アイデンティティ(国としての独自性)を構築しようとしていました。というのも、オーストラリアは移民社会で国の歴史が浅いので「これがオーストラリアだ」という文化を持ち合わせていなかったからです。そのような状況の中で政府が注目したのがアボリジニの文化でした。政府はオーストラリアの伝統的文化として、先住民であるアボリジニの文化を利用しようとし始めたのです。先住民の文化というのは、それまで侮蔑の対象でした。しかし、急に多文化主義の一つに組み込まれたことによって国民的な遺産として称賛されるようになりました。それはいいことではないかと思う人も多いですが、一方でそのように称賛されることによって生じた問題もあります。私は、オーストラリアが国を挙げて伝統的なアボリジニの文化を称賛する中で、都市に住むアボリジニの人々がその状況にどのように対応しているのかというところに焦点を当てて研究しています。

◯ 都市のアボリジニが抱えるアイデンティティの揺らぎ

 アボリジニも地域によって文化が全く異なるのですが、多文化主義のもとで承認されたアボリジニの文化は、オーストラリアの中央砂漠や、奥地に住んでいて比較的伝統的な文化を維持している人々の文化のことを指していました。実際には、現在アボリジニの約8割の人々が奥地ではなく地方や都市に住んでいて、そのような文化を持ち合わせていません。都市の先住民というのはイメージがあまりわかないかもしれませんが、彼らは白人と混血している人が多く、外見もだんだんと白人化しています。

アボリジニの家族と栗田先生

このように、見た目にはオーストラリアの白人とほとんど変わりません。では白人と全く同じかと言われると、一緒に生活してみると全然違うところがわかります。彼らはオーストラリア人が話す一般的な英語にアボリジニの言葉が断片的に混ざった独特の言葉(アボリシナル・イングリッシュ)を話します。また、家族のつながりがとても強く、日常的にいとこなどの遠い親戚が家を訪ねてきます。都市に住むアボリジニはこのような「都市のアボリジニ文化」という独自の文化を持っています。
しかし、オーストラリア政府はこのような都市のアボリジニ文化を本当のアボリジニ文化とは認めていません。多文化主義政策により、奥地のアボリジニ文化が称賛されたことで、都市のアボリジニはジレンマを抱えるようになりました。都市のアボリジニもオーストラリアで称えられている伝統的なアボリジニ文化を無視できないということで、1980年代頃から都市のアボリジニの指導者や教師が中心となって伝統文化の復興運動を始めました。その伝統文化というのは、私が調査をしている都市アデレードの先住民の伝統文化でもありますが、それに加えて政府が称賛しているアボリシナル・アートやアボリシナル・ダンスといった遠隔地の文化を取り入れた、オーストラリア社会からの承認を得やすいような文化を構築して学校で教育するという対応がとられていることが調査を通じて明らかとなりました。つまりアボリジニの中で、一種のステレオタイプ化されたアボリジニ文化が再生産されているということです。
都市のアボリジニは先ほど述べたように大半が「混血」なので、アボリジニとしてのアイデンティティとオーストラリア人としてのアイデンティティの両方を持っています。歴史的な経緯で白人に対する嫌悪感や複雑な気持ちを持ち合わせていますが、実際には親族の中に白人がいるので日常的に白人と接触する機会がありますし、周りに白人の家がたくさんある中で暮らしています。その中で、状況や目的に応じて白人を自分たちアボリジニの世界に組み込んだり、排除して自分たち独自の慣習を守ろうとしたり、このようなアイデンティティの操作をしている様子がみられるということも明らかになってきました。白人の方がその交渉の仕方やノウハウを知っている土地返還運動において、特に白人と連帯する側面が現れています。このように都市のアボリジニの人々は自分たちの目的に合うようにアイデンティティを操作していることがわかります。私はこれが都市の複数のアイデンティティを持つアボリジニなりの多文化主義への一つの抵抗戦略ではないかと結論付けています。2018年の3月に、このような調査を行った博士論文を基にした単著『多文化国家オーストラリアの都市先住民-アイデンティティの支配に対する交渉と抵抗』を明石書店より刊行しました。興味のある方は手に取っていただけると幸いです。

◯ 今後の展望:白人・アボリジニ・アフリカ難民の新しい関係をみる

 現在のオーストラリアの一部の人々の間では、ヨーロッパのように移民排斥の動きがみられ、有色人種、特に先住民と2000年頃にオーストラリア政府が受け入れ始めたスーダンからの難民が人種差別のターゲットにされているという状況があります。白人の国であるオーストラリアでは肌の色によって社会に受け入れられないということになりがちです。メディアが先住民とアフリカ系の難民をターゲットにし、白人を脅かす先住民とアフリカ系のギャングという仮想敵を作り出している状況も存在します。現在私は、先住民とアフリカ系難民がオーストラリアで排斥を受ける中、それにどのように対応して暮らしているのかに興味があり、その研究に取り組んでいるところです。
 調査によって先住民がかつて体験したことをアフリカ難民が経験しているという状況が明らかになってきました。先住民もアフリカ系難民も差別や貧困などによって同じように社会から排除されています。そのような中でその二つの集団がどういう関係を築いているのか、先住民と難民とで属性は違い敵対する部分もありますが、やはり同じような環境に身を置いてきたということもあり、通婚や交友関係が構築されています。両集団を結びつけるものと隔てるものは一体何なのかということを今研究していて、それを見ることによって、「黒人性」というようなものを生み出している白人の側の構造的な優位性である「白人性」を暴き出そうという研究を今行っているところです。

スーダン難民の家族と栗田先生

◯ 研究に取り組むきっかけ

 私はもともと民族紛争や難民問題、人種差別といった国際社会が抱える問題に興味がありました。大学の学部生のころにオーストラリアに交換留学に行く機会を偶然得て、メルボルンから少し離れた田舎町へ行くことになりました。オーストラリアの都市部だと白人は移民やアジア系の人々を見慣れているのですが、都市から離れた人々はそのようなエスニック・グループと接する機会がないので恐れられました。ちょうど私が留学した時はオーストラリア全体でアジア人に対するバッシングが強くなっていた時代でしたから、私も身をもって「差別とはこういうものだ」ということを経験しました。社会におけるマイノリティとはこういうものだと実感する経験があったからこそ、それを可能にしている社会構造とはいったい何なのだろう、特にオーストラリアではアボリジニの人々はアジア系以上にひどい扱いを歴史的に受けてきたことに対して、なぜそのようなことが可能なのだろうと、ある種の興味を抱くようになりました。留学中にもう少しそこの部分を明らかにしたいと思い、その後から先住民の文化や歴史といったものを研究するようになりました。
 学部生の時の留学経験ではマイナスのイメージが強く、オーストラリア自体が嫌になった時期は確かにあります。しかし、日本に帰国してオーストラリアが置かれていた多文化主義などの社会的な状況を、文化人類学を学ぶ中で客観的にみられるようになると、バッシングしていた白人の事情も理解できなくはないと考えられるようになりました。また、アボリジニの人々の文化にも興味があり、やはりアボリジニの問題を考える際にはアボリジニの文化だけでなく主流社会である国家との関わりを見ていく必要があると考え、それを行うために、勇気を出してオーストラリアにまた行ってみようと考えました。
私は学部を卒業してすぐに修士課程に進学し、その後一度社会人になり翻訳の仕事を3年間ほどしていました。社会人になったのは、文系で研究の道を進んでも研究者になれることはほとんどないと思ったからです。しかし、どうしても研究に対する未練がありました。自分自身のやりがいを考えるとやはり研究しかないなと思い、とても悩みましたが、勇気を出して博士課程に進学することに決めました。その際に夫は私の研究に対して理解を示してくれ、今まで支え続けてくれました。このように博士課程に進学したのが20代後半で、そのくらい自分の中でオーストラリアと研究を消化するのに時間がかかり、すぐに切り替えができたわけではありませんでした。
 私が以前留学した場所がメルボルンでしたが、現在調査をしているアデレードはその隣の町です。しかし、私の英語力も以前より向上していることや社会の状況が全く異なっていて、一般化はできませんが、アデレードの人々は私のことをすごく受け入れてくれました。ですから、同じ白人でも地域によって全然違うのだなということも分かり、白人も一様にとらえてはいけないと理解しました。また、白人の中でも貧困層とアボリジニが連帯していることや、白人すべてが差別する側ではないということが調査を行い始めてから身をもって分かりました。そのようなこともあり、以前ほどオーストラリアに対する嫌悪感というものはなくなりました。留学当時はショックでしたが、今になって思うとあの経験をしておいて良かったです。あの経験をしていなかったらマイノリティの気持ちは永遠に分からなかったと思いますから。

◯ 学生の方へのメッセージ

 私の場合、社会人の時に英語に関する仕事をしていたので、その際に培ったスキルがフィールドワークや英語を読むときにとても役に立ったと思います。人類学者になろうとは当初思っていませんでしたが、別の道で積み上げた研究とは関係のない英語のスキルが役に立っていることを踏まえて、複数の専門分野を持つことが研究者になる上で大切になるのではないかと思います。特に人文系の場合には何か一つ持っておかないと潰しがきかないと思いますので、別に英語以外の何でもいいと思うので、もう一つくらい強みがあった方が気持ちに余裕を持って活動できるかと思います。
 また、研究の世界に入る人というのは何らかの思いがあって入る人が多いと思うのですが、自分が持っている信念は持ち続けてほしいと思っています。この分野は自分にしかわからない、この分野に関しては誰にも負けないというような、そういうものの基になるものは研究に対する信念であったり思いであったりという部分が大きいと思います。ですから、研究者を取り巻く状況は非常に厳しいですが、特に博士課程に進学しようという院生の方にはそういう信念だけは持ち続けてほしいです。博士課程では博士論文という大きな関門があるので、それを突破するためには信念がないと書き上げることができないのではないかと思います。私も研究に対する信念や思いがあったから乗り越えてこられたと思います。

◯ 取材を終えて

 とても誠実な人柄でしっかりと質問にお答えくださり、たくさんお話を伺わせていただけてとてもよかったと思います。字数の関係上、掲載することができなかったエピソードもあり、大変残念に思っています。栗田先生から、一度研究の世界から離れて培った経験が研究に再び戻った際に力になったというお話を伺い、研究のことばかり考えて狭くなっていた自分の視野を少し広げ、これからの進路やキャリアを考えることができたように思います。

取材担当:谷 綺音(広島大学 総合科学研究科 博士課程後期2年)